考え方

怒りについて

今回は怒りについてです。

助手くん
助手くん
怒りたくなったら、怒ればいいですよね、ハカセ?
ハカセ  
ハカセ  
そうじゃないかもしれん、というのが今回の話じゃ。

 

注)この記事は、2016年当時の「3つの記事」をひとつにまとめ、大幅にリニューアルしたものです。

 

 

正当な「怒り」

 

糖質オフをしている人でよく見かけます。

間違った事を教えられていた!
間違った治療でこんな風になった!

あの時に糖質オフを教えてくれていたら、
こんな風にならなかった!

などなどです。

 

これについては「善意の不全」もご参照ください。

「善意の不善」とは?今回は「善意の不善」について取り上げます。 注)「善意の不善」とは、私がこの記事の元記事を 書いた2015年7月12...

 

その怒りをずっと抱えている方を見かけます。

この怒りは、とても「正当な」怒りです。

今回は、このような「怒り」について書いていきます。

 

「正当さ」が歪みをもたらす。

 

 

怒りは良いもの?

 

世の中には「これは怒るべきだ!」とか「怒りのエネルギーで!」などなど、「怒りが良いものである」的な話が良くあります。

そう言っている人達を良く見てみましょう。

その人達は幸せそうでしょうか?

 

怒っている人や、怒る事が良い事だという人を見る。
その人達は幸せそうだろうか?

 

怒りのエネルギーは確かに凄いものがあります。

その一方で、その怒りは怒っている人自分の身も焦がします

怒りのエネルギーは我が身を燃やす事で生まれます。

さらに、周りの人達も焼き尽くします

そして攻撃的になり、攻撃された方から漏れなく反撃ももらう事になります。

 

当然です。
因果応報の原則です。
攻撃したら、攻撃されます

 

どんな人であれ、因果応報の原則から逃れることはできません。

万有引力の法則に世の中が支配されているのと同じく、因果応報の原則もキッチリ働きます。

 

怒ってばかりの人はどうなるか。

常に周りの攻撃にさらされ、そして常に消耗していきます

「自分の怒りは正当なものだ!黙ってやられていればいいのか?!」と思った時、すでに反撃を受ける事が決定したようなものです。

「正しいかどうか?」は、争いを生むだけです。

 

相手に「思い知らせてやる!」と思ったとき、その先には既に「自分が思い知る結果」が待ち受けています。

 

他人を「思い知らせて」やろうとした後に、「思い知る」のは自分

 

怒り・正義は、越えるもの

 

相対性理論などで有名なアインシュタイン博士はこういう名言を残しています。

 

「問題はそれが起きたのと同じレベルでは解決できない

 

正しい、正しくないでは永遠に解決しません。

人ぞれぞれ、自分にとっての「正義」はあります

ほとんどの重犯罪者でさえ、最後まで「自分は正しい」と思っています。

 

問題が起きたレベルを越えていく考えが解決につながります。

 

そして、こういう「問題が起きたレベルを越える」という事を成し遂げる人に共通することがあります。

それは問題自身を受け入れている、という事です。

 

つまり問題が問題としてある事を「許している」という事です。

今まで問題が解決できなかったという事を「許している」という事です。

 

 

究極の解決法「許す」

 

・腹が立ってしょうがない
・思い出しただけでもムカムカする
・絶対に許さない

こう考えている人も多いと思います。

こうしていつまでも怒り続ける事は、「エネルギーの無駄遣い」です。

こう思った所で物事は何も解決できません
むしろ攻撃した結果、反撃さえ受けてしまいます。

 

力技で問題ごと壊そうとすれば最後には自分が壊れます。
壊そうとすれば、壊される。
因果応報です。

 

怒りを抱えているという事は考えがその時点で止まっている、という事です。

しかも、「腹が立って許せない」という矛先は、知らず知らずのうちに自分にも向いています。

 

深層心理では「主語が抜ける」と良く言われます。
(主語がない、消えるなどバリエーションはあります)

 

つまり、「自分じゃない他の人や物事に対して」腹が立つという場合でも、自分の深層心理の中では「主語が抜けます」

この時、どうなるでしょうか?

「腹が立つ」だけが残る事になります。

そして最終的には、「自分に対して」「腹が立つ」というように深層心理では処理されます。

それが更なるイラ立ちにつながり、どうにも怒りが収まらない、という負の連鎖が始まります。

この負の連鎖を強力に、そして根本的に止める事ができるのが「許し」です。

心の中でも良いので、とにかく「色々あったけど、それを許す!」と力強く宣言しましょう。

 

怒りが強い時は、何だったら「許さないけど許す!」とかでも良いです。

1度や2度ではなく腹が経つ、許せない、と思うたびに「許す!」と宣言しましょう。

段々と「許す」のが上手になっていきます。

 

すると「なんであんなちっぽけな事に怒っていたのだろう?」と思う日が来ます。

これこそが、成長の証です。

 

何度でも「許す!」と力強く声高らかに宣言しましょう。
許しの力は強大です。

 

 

やられっぱなしなの?

 

問題は「怒る」ことです。

なにも対処しない、という事ではありません

「冷静にやり返す」事は、大体において必要です。

 

しかし、怒っている状態は視野が狭くなります。

怒りの原因の解決には、ひとつ上のレベルの考えが必要です。

 

これには、冷静になって視野を広く持ったり相手や物事に対して広く深い理解を持つ
事が必須です。

 

まず冷静になって「なぜそんな腹が立つ事になっているのか」「相手はなぜそうしたのかなど」を深く広く理解する、という事です。

その結果、「そもそも気にならなくなる」とか「相手も自分もよりよい結果になる解決法が浮かぶ」などの事が起きます。

 

いつまでも同じ事に時間と考えを奪わせるのは、今、ここで終わりにしましょう。
「許す!」と宣言して、今、ここから再び自分の人生を始めましょう

 

怒りにコントロールされる人生ではなく、自分で人生をコントロールしましょう。

 

 

 

もちろん簡単ではない

 

以上のような事を書くと「簡単にそう言うけど」と思う事でしょう。

「簡単にやれたら苦労しない」、まさにその通りです。

そうです、以上のよな事は、決して簡単ではありません

 

むしろ真逆の、怒りに身を任せる事こそが「簡単」です。
実に簡単です。
そのまま反射的に怒れば良いだけです。

「許す」事で、前に進む

とても難しい事ですが、その分、絶大な効果を誇ります

難しい分だけやってみる価値があります。

 

 

それでも、それは怒るべき?

 

「怒れないより、怒れた方が良い」
「それは怒るべき」
等々、
怒りを正当化したり、怒りに対する肯定的な意見は世の中に溢れています。

 

怒れない?

 

怒れる、怒れない、というよりは「怒らない」と自分で決意し、実行するというのが大切です。

怒れないのとは全く違います

そして、怒りの原因となりそうな問題に対しては、キッチリ「対処」をします。

その時、怒りの感情に任せて行動しない、という事です。

 

最終的には、怒る必要自体が一切感じられなくなる、コレです。

ここまでいったら、大したものです。

 

怒ることさえできない、というのは「怒る」「怒らない」ではなく「言うべき事が言えない」という方の問題です。

それは、不安や恐怖に負けている、という別の問題です。

「怒らない」というのは、感情のままに怒るよりも強い精神力を必要とします。

 

何かの刺激があった場合、自分で行動を選択するぞ!という強い心構えが必要です。

思わずムカッとくる場合でも一呼吸おいてあるべき自分に近づこうとする、そういう事が必要です。

人間にはそれができます

 

人間には刺激を受けてからどう行動するか自分で決めることができます

刺激に単純に反応するのは他の動物でも可能です。

強い意思を持って刺激にどう反応するか決められるというのは人間の特徴です。

怒りは安易な逃げ道でしかありません

 

人間は他の動物と違い、刺激に対する反応を「自分の意思」で変えられる

 

そして怒りは、一切、人生に必要ありません。

悔しいと思ってがんばる、それは大切です。

そして怒りとは別です。

「悔しさ」は次の飛躍へのバネになります。

怒りは自滅への一本道です。

 

怒りは不必要です。

自ら「怒らない」という選択をして、実行に移す。

決意だけでなく、頭も使うことになります。

 

怒りは一見、エネルギッシュで多くの事を成し遂げるように見えます。

一方で、その攻撃性は多くの反動も同時に生み出します。

そして、それらの反動と差引するとトータルでマイナスです。

後には消耗し、攻撃されて傷ついた自分が残ります。

 

身近でよく怒る人を思い起こしてみれば良いでしょう。

彼らは消耗し、傷ついています。

そしてそれが「怒り」による事に気づいていません。

怒る必要すらないという境地を目指したいものです。

 

 

怒るべき?

 

「怒るべき」といわれる場合は「怒りながら、何か主張や意見などを押し通すべき」という後半部分が省略されています。

 

「怒るべき!」といわれる場合は「怒りながら、何か主張や意見などを押し通すべき」という後半部分が省略されている。

 

では、これを逆の立場になって考えてみましょう。

つまり、相手が怒りながら何かを言ってくる場合です。

 

その場合、人は自然と自分を「守り」ます。

心理的な防御メカニズムが働きます。

攻撃されれば防御する。

自然な流れです。

 

つまり、「守り」とは、相手が言ってきている事をきちんと聞かない、聞こうとしない、という事です。

否定する、受け流す、逃げる、などの心理的なメカニズムが働きます。

誰かが怒りながらしゃべってくるのを想像すれば理解しやすいかと思います。

まともに聞こう、という気はなくなりますよね。

 

で、「怒りながら主張しよう」という事に戻ります。

主張をキッチリ通すには、相手に理解して賛同してもらうという事です。

一方で、怒りながら主張する事は相手を理解から遠ざけます。

目指す方向とは真逆です。

 

あなたの勢いにその場では相手も流されるかもしれませんが、それはその場だけです。

少し時間が経てば、相手も「やっぱりソレはおかしい」と思い直します。

 

あなたが怒っていれば相手の聞く気は大幅に低下しています。

あなたの思考も怒りに染められきちんと話せません

「きちんと」というのは筋道(すじみち)を立てて話す、相手の気持ちを推し量りつつ話す、という事です。

 

怒りながら何かを主張することは「大変な無駄」という事です。

 

怒りながら何かを主張することは「大変な無駄」

 

消耗した後に、反撃され、そして傷つきます。

「怒りながら言う」という事と、「言うべき事を言う」という事は、全く違います。

言うべき事は言う

そこに怒りはいらない、という事です。

 

冷静で落ち着いた心で言うべき事を言った方がより良い結果を生みます。

 

 

しつけとかどうするの?

 

子供の教育・躾、社員教育などなど。

(社員教育でいう「しつけ」は、個人的には違和感しか感じません。「しつけ」をする側の社員様は、何様なんでしょうか?)

ここでも「怒れ!」という考えがはびこっています。

しかし、怒りながら言う事は上記のように「相手の聞く気が減る」「反抗心を育ててしまう」などのデメリットが満載です。

 

それよりも、冷静に相手の目を見て話した方が効果的です。

その場合、「とってつけたような理由」などは捨てましょう

「あなたのためを思って」などのセリフが出る時は要注意です。

「あなたのためを思って」というのは、まさに取って付けたような理由です。

心の底から相手の事を思っている場合には、違う言葉が出てきます。

 

つまり、どれだけあなたが私にとって大切なのか、というような言葉です。

表面的な取り繕いは必ず見破られます。

見破られていない、と思っているのは自分だけです。

 

表面的なテクニックより、自分の心の有り様(ありよう)こそを磨きましょう

 

以上、脱線しまくりな怒りについて、でした。

 

ABOUT ME
医師水野
医師水野
医師、アキバ水野クリニック院長。 2003年に医師免許取得(医籍登録)、2019年2月13日にアキバ水野クリニックを開設、院長となる。 両親とも糖尿病家系。2度肥満だった自らの体の劇的な変化をきっかけに、糖質制限を中心とした治療を開始。 97単位に及ぶインスリンの自己注射を不要とするなど、2型糖尿病患者の脱インスリン率100%という実績を打ち出す。 糖質制限やインスリンを使わない治療法などの情報をブログ、Facebook、Twitterや、講演会などで精力的に発信。 現在は、がんに対するビタミン・ケトン療法も実践中。 著書は「薬に頼らず血糖値を下げる方法」「みるみるやせる・血糖値が下がる 最強の糖質制限ガイドブック」など。